(2)盛岡駅前広場の歌碑

前回は岩手大学構内の歌碑を紹介しましたが、順次、市内の歌碑を紹介していきます。啄木は明治19年岩手郡で生まれ「渋民尋常小学校」を卒業後、明治28年「盛岡市立高等小学校」に入学、明治31年に卒業し「岩手県盛岡中学校」に入学、明治35年の退学までの7年と数カ月を盛岡で過ごし、学び、恋を知り、多くの友人を得た地であり、妻節子との新婚生活を過ごした地でもあります。盛岡市内には啄木のゆかりの場所等に歌碑が20ヶ所ほどに建てられております。その場所を地図1に示します。
今回は盛岡の玄関口盛岡駅の駅前広場の歌碑を紹介します。盛岡駅の新幹線改札口北口から出るとバスターミナルへ、南口から出るとタクシー乗り場に出ますが、その間の広場に横長の大きな歌碑が立っております。啄木の50回忌を記念して昭和37年に建立され、東北新幹線工事のため、一時移されておりましたが、広場の完成に合わせ昭和57年に現在の場所に戻されております。


盛岡駅前広場の啄木の歌碑(すぐ後ろがタクシー乗り場)


ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな




写真に見える盛岡駅の「もりおか」の字は、啄木の筆跡を使ったものです。


ふるさとの山「岩手山」に翼を広げた「鷲」の姿が見えます。「春がやってきた」
ことを告げてくれる鷲君です(2009.5.8撮影)


(1)岩手大学構内の歌

啄木の妻「堀合節子」誕生の地と井戸
石川啄木の妻、節子(旧姓堀合)の生家は、岩手県南岩手郡上田村上田新小路11番地とされています。明治35年(1902)設立した盛岡高等農林学校創立当時の地図と現在の地図を重ね合わせたところ、節子の生家は現在の岩手大学農学部の温室を含む一面であることが分かりました。そこには古井戸があり大正2年(1913)の写真を参考に車井戸を平成20年(2008)に復元しました。(案内板より)


啄木の妻節子の生家の井戸の復元に際し、井戸の安全のため御影石の蓋をし、
その蓋に夫婦の、次の歌が刻まれています。(2008年10月14日 復元除幕)



ある日、ふと、やまひを忘れ、
牛の啼く真似をしてみぬー
妻子の留守に。
    
啄木  歌集「悲しき玩具」より


ひぐるまは焔吐くなる
我がうたにふと咲き出でし黄金花かな
       節子  文芸雑誌「小天地」より