(39)羽山姫神社の啄木歌碑

宮城県石巻市には日和山公園と、ここ荻浜(おぎのはま)の2カ所に啄木歌碑が建立されています。荻浜には啄木が明治41年釧路から海路上京する途中、寄港しており、啄木生誕90周年を記念してこの歌碑が建てられました。










港町
とろろとなきて輪を描く鳶を壓せる
潮曇りかな

啄木(一握の砂)


この歌碑は、啄木生誕90周年を記念して建てられたもので、碑の文字は「暇ナ時」に書き残した啄木直筆を拡大して刻したものです。なお、この歌碑の写真は2010年11月に訪れた時のものです。




石川啄木歌碑について
薄幸の詩人石川啄木は奇しくも明治41年4月26日朝7時、釧路から海路上京途中「三河丸」でこの地に立ち寄りました。大森屋旅館で給仕にでた佐藤藤野さんと雑談を交わしながら朝食をとり、鶯が鳴き、椿の花が満開の琴平社に登り、港を眺め、わずか5時間の「今年の私の春」を楽しんだのです。上京後間もなく書いた自伝小説「二筋の血」に、その宿で出会った少女「藤野」がヒロイン名として登場している。おり、また、

「港町とろろとなきて輪を描く鳶を圧せる潮曇りかな」
「漂泊の人はかぞえぬ風青き越の峠にあひし少女かな」


など、歌稿ノート「暇ナ時」に納められている一連の歌は、啄木が荻浜をいとしんだ回想歌です。この歌碑は、啄木生誕90周年を記念して建てられたもので、碑の文字は「暇ナ時」に書き残した啄木直筆を拡大して刻したものです。




羽山姫神社



(38)石巻市「日和山公園」の啄木歌碑

宮城県の石巻には啄木が盛岡中学5年生の時に就学旅行で来ており、長浜海岸を詠んだ歌の歌碑が日和山(ひよりやま)公園に建立されています。




日和山公園の啄木歌碑





砕けてはまたかへしくる大波の 
ゆくらゆくらに胸おどる洋
啄木





啄木が盛岡中学5年生当時の明治25年5月28日修学旅行で石巻を訪れ長浜海岸を詠んだ2首の中1首である。




日和山公園から見た北上川


石巻市は3年前の津波で大きな被害を受けましたが、被害を受ける前の日和山公園から見た北上川の風景です。




日和山公園から見た北上川



(37)十和田市の啄木歌碑  青森県十和田市大字奥瀬字十和田湖畔休屋486

青森県には青森市合哺公園、野辺地町の愛宕公園と、ここ十和田市のホテル十和田荘の3カ所を訪れました。
啄木の歌碑はホテル十和田荘の入口右側にあります。十和田荘は十和田湖から3kmほどです。歌碑は、啄木が明治34年7月に十和田湖を訪れたことを記念して、昭和48年8月26日に建立されました。



ホテル十和田荘



この看板の右側に歌碑があります



啄木歌碑





夕雲に丹櫂はあせぬ
湖ちかき草舎くさはら
 人しづかなり
   啄木




歌碑説明


石川啄木は明治の文壇に斬新な作風をもって現れ、今もなお私どもの胸を打っております。私どもがここにかれの歌碑をたてることは、そのすぐれた文学を顕彰することの一環であります。かれが、明治三十四年七月、中学四年生のとき、学友とともに十和田湖に遊ぶ途中、毛馬内の錦木塚の悲恋の伝説を取材し、かおり高い詩歌をのこしました。碑の歌の丹櫂(にずり)はその物語の、想うひとの戸口にたてかけた錦木の紅い塗り色のことです。この碑をたてるにあたり、地元の十和田町、休屋の方々なかにも中村秀三氏の絶大なるご尽力をいたゞいたこと歌の揮毫を氏の父君 湖畔開発功労者秀吉翁の、題字を県知事竹内俊吉氏のご行為により、また多くの啄木愛好者の浄財によったことを謝意をこめて刻むものです。 
昭和48年8月26日 青森啄木会 川崎むつを


十和田湖の奥入瀬渓流は新緑の季節が綺麗ですので、ぜひ訪れて下さい。
盛岡からは「奥入瀬渓流」→「十和田湖」→「鹿角」→「盛岡」になります。この逆もまた良しです。



奥入瀬渓流


奥入瀬渓流は大町桂月の歌にもありますが、けっこう距離があります。

        住まば日の本 遊ばば十和田
      歩きや奥入瀬 三里半
        大町桂月




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