(19)先人記念館の啄木歌碑
先人記念館には明治期以降に活躍した盛岡ゆかりの先人130人が紹介されている。特に新渡戸稲造、米内光政、金田一京助については記念室があり、
金田一京助記念室の庭には京助の書による啄木の歌碑が建立している。この歌碑は、昭和29年4月に旧盛岡鉄道管理局盛岡工場に建立しましたが、
昭和60年に同工場が廃止され、昭和62年に先人記念館に移されました。
金田一京助記念室から見た歌碑
啄木歌碑
ふるさと能山尓向ひて
言ふ事那し
ふるさとの山者あ里可多記可奈
この歌は、明治43年啄木歌ノート(8月28日)にあり、一握の砂「煙二」に掲載。
啄木と妻節子
啄木と金田一京助
先人記念館には盛岡駅の西口通路を出ると間もなく雫石川に架かる「杜の大橋」があり、その橋を進んで行くと途中で記念館が見えますので、
川すぐです。車の方はこの橋を渡りきって左折し次の信号を左折します。
先人記念館
(18)石川父子の歌碑
下の橋中学から下流に5分程歩くと啄木父子の歌碑に到達する。この場所から少し下流では中津川は北上川に合流し、さらにその下流で雫石川が合流し大
きな北上川になる様子が見られる。この歌碑は平成5年12月「国民文化祭いわて'93」のモニュメントとして建立された。車の方は盛岡駅から明治橋の方に進み、御厩橋を渡ると歌碑案内の標識があります。
中津川や
月に河鹿の啼く夜なり
涼風追いぬ夢見る人と
啄木
中津川
流れ落合ふ北上の
早瀬を渡る夕霧かな
一禎
歌碑の下流で中津川(右手前)が北上川に合流し新北上川に、さらに下流で新北上川が雫石川(鉄橋の下)に合流、3つの川が新しい北上川になって
宮城県石巻市まで流れていく。
「啄木父子の歌碑」と「啄木牧水友情の歌碑」の中ほどに、俳人「小原啄葉」先生の句碑が建立されている。
花桐や
雲を重ねて
南部領
啄葉
(17)石川啄木・若山牧水友情の歌碑
下橋中学校(啄木の通った盛岡高等小学校)の校門の前の緑地には、啄木の歌と、啄木が晩年もっとも心を許しあい、
啄木の最後をみとったといわれる若山牧水の歌が並んで詠まれている。
この歌碑は、平成9年、啄木生誕111年{啄木の本名一(はじめ)}を記念して、啄木と牧水の友情の歌碑として建立された。
盛岡駅から不来方橋(こずかたばし)を渡り真っすぐ進むと15分ほどで下の橋に到達、橋のたもとにある賢治清水を
飲んで一休みし、橋を渡って右折すると下橋中学校があります。
教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址に寝にゆきしかな
石川啄木
城跡の古石垣にゐもたれて曠
聞くともなき
波の遠音かな
若山牧水
二つの歌の間には「啄木が晩年最も心を許し合った友人若山牧水は、盛岡を三度 訪れており、
啄木がこよなく愛し歌った不来方城で、啄木を偲びながら数百詠しております」と書かれている。
啄木のこの歌は雑誌「曠野」(明治43年9月号)、「スバル」(明治43年11月号)、「学
生」(明治44年1月号)に発表されている。なお、この歌は一握の砂「煙一」に掲載。
下橋中学校の校門は「下の橋」と「かわら橋」のほぼ中間にあり、校舎は「かわら橋」まで続いている。駅から「不来方橋」を渡って「下の橋」の方に進むと途中
に岩手女子高校があり、高校の手前のわき道を進むと「かわら橋」に出るので、かわら橋を渡って、歌碑を見てから下の橋をわたり、賢治清水を飲んで休む
のもよいですね。
賢治清水と宮沢賢治自筆の「ちゃんがちゃんがうまこ」の詩碑
『ちゃんがちゃがうまこ』四首
夜明げには
まだ間あるのに
下のはし
ちゃんがちゃがうまこ見さ出はた人
ほんのぴゃこ
夜明けがゞった雲のいろ
ちゃんがちゃがうまこ橋渡て来る
いしょけめに
ちゃがちゃがうまこはせてげば
夜明げの為が
泣くだぁぃよな気もす
下のはし
ちゃがちゃがうまこ見さ出はた
みんなのながさ
おどともまざり