(21) 渋民駅前公園の啄木歌碑

盛岡駅から「いわて銀河鉄道」に乗って八戸方向に進むと盛岡→青山→厨川→巣子→滝沢→渋民→好摩駅となり盛岡から20分ほどで渋民駅に到着する。渋民は啄木が生まれ育ったところなので多くの啄木歌碑が建立されている。渋民は現在、盛岡市玉山区になっているが、玉山村が平成18年1月、盛岡市に編入合併のうえ廃止され、旧村域には合併特例法に基づく地域自治区が平成28年3月31日を期限として設置され、盛岡市玉山区になった。盛岡に合併前の玉山村は、明治22年4月に啄木が生まれた日戸村と合併、その後明治29年に啄木が育った渋民村とも合併し新しい玉山村になっていた。



渋民駅


         

@駅前の啄木歌碑

渋民駅前の駅前公園に、歌人石川啄木の歌碑が建立され、平成16年5月16に除幕式が行われた。
文字は啄木の直筆ノートから写し取った。歌碑の傍には「雲は天才である」の碑も立っている。


 


なつかしき
故郷にかへる思ひあり
久し振りにて汽車に乗りしに
啄木




この歌は、早稲田文学(明治44年1月号)、悲しき玩具に掲載されている。


姫神山をバックに「雲は天才である」の碑


春まだ淺く月若き

生命の森の夜の香に
あくがれ出でて我が魂の
夢むともなく夢むれば…… 
                 

雪をいただく岩手山
名さへ優しき姫神の
山の間を流れゆく
千古の水の北上に
心を洗ひ……



これは、啄木の『雲は天才である』の中の詞で、歌詞は啄木の母校渋民小学校の校歌になっている。
また、この詞に古賀政男が曲を付けており、盛岡市役所からは昼になるとこの曲が流れてくる。            



A駅裏の民団地の歌

澁民駅の裏には澁民団地があり、その一角に啄木歌碑が建立している。建立された当時は台座の上に啄木の銅像があったようですが、現在は取り外され、台座のみになっている。


  渋民団地の啄木歌碑

かにかくに澁民村は戀しかり
おもひでの山
おもひでの川
啄木


この歌は一握の砂に掲載されている。


(20)盛岡「松園寺」の啄木歌碑

国道4号盛岡バイパスから北山トンネルをぬけ岩泉方向に5kmほど進むと松園寺に着きます。ここには啄木らの歌碑がたくさん建立されている。


松園寺








山の子の山を思ふがごとくにもかなしき時は君を思へり
砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日
長く長く忘れじ友に会ふごときよろこびをもて水の音聴く


「山の子・・・」の歌は、文章世界(明治43年11月号)に発表、一握の砂「忘れがたき人人(二)」に載っている。      
「砂山の・・」の歌は、一握の砂「我を愛する歌」に掲載されている。                    
「長く長く・・」の歌は、東京毎日新聞(明治43年3月10日)に発表、一握の砂「秋風のこころよさに」掲載されている。


その他、次の歌碑が建立している。
神無月岩手の山の初夏の眉にせまりし朝を思ひぬ
いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ
病みてあれば心も弱るらむさまざまの泣きたきことが胸にあつまる
人がみな同じ方角に向いて行くそれを横より見てゐる心
己が名をほのかに呼びて涙せし十四の春にかへる術なし
東海の子島の磯の白浜にわれ泣きぬれて蟹とたわむる
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心
砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日
やわらかに柳あおめる北上の岸辺目に見ゆ泣けどごとくに
ゆゑもなく海が見たくて海に来ぬこころ傷みてたへがたき日に
たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
長く長く忘れじ友に会ふごときよろこびをもて水の音聴く
中津川や月に河鹿の啼く夜なり涼風追ひて夢見る人と


北山トンネル




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