(23)石川啄木記念館の歌碑

 いわて銀河鉄道 渋民駅から国道4号線に出て北上し、北上川に架かる船田橋を渡り信号を左折すると1.4kmのところの右側に大前田の啄木歌碑があり、さらにそこから400m進むと斎藤家前の啄木歌碑があります。さらに斎藤家から500m進むと右側に石川啄木記念館がある。渋民駅から2.3kmなので、歩くと30分ほどかかります。盛岡駅からはバスで40分ぐらいです。記念館の庭には歌碑や旧渋民小学校、旧斎藤家などが移転され、記念館の庭にあります。


      


石川啄木記念館


@記念館入り口の啄木歌碑


啄木記念館正面(玄関脇)の歌碑


東海の
小島の磯の
白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
     石川啄木



この歌は、明星(明治41年7月号)、創作(明治43年7月号)、廣野(明治43年9月号)に発表、一握の砂「我を愛する歌」に掲載。



A記念館の庭の歌碑

記念館の庭には啄木の歌碑と節子の歌碑があります。


旧渋民小学校と啄木歌碑


時として
あらん限りの声を出し
唱歌をうたふ子をほめてみる
     石川啄木




斎藤家と石川節子の歌碑


この舟は海に似る瞳(め)の君のせて
白帆に紅(あけ)の帆章(ほじるし)したり
     石川節子



なお、啄木が間借りしていた斎藤家で、啄木が弟のように可愛がっていた斎藤佐蔵は、母校盛岡工業専門学校・工作機械科23年卒業の斎藤清人さんのお父さんです。先日、斎藤家の啄木歌碑の前での清人さんの写真が岩手日報に載っていました。



 啄木と子供のブロンズ像


B旧啄木記念館前の啄木慰霊碑裏側の啄木歌碑


 啄木慰霊碑


慰霊碑裏面の歌

今日もまた胸に痛みあり。
死ぬならば、
ふるさとに行きて死なむと思ふ。
     啄木


この歌は、雑誌「新日本」(明治44年7月号)に発表、悲しき玩具に掲載された。


C啄木記念館の前庭の歌碑


記念館前の広場の歌碑

公園の木の間に
小鳥あそべるを
ながめてしばし憩ひけるかな
    啄木


この歌は、雑誌創作(明治43年11月号)に発表、一握の砂「忘れがたき人人(二)」に掲載。


(22)渋民街中の啄木歌碑

渋民駅から姫神山を見ながら国道4号線に出て、4号線を北上していくと渋民の街並みに入り、駅から1.5kmのところの大前田地区の道路沿いに啄木歌碑があります。さらに進むと愛宕神社があり、神社の境内に啄木歌碑がある。また、愛宕神社のすぐ傍の国道4号線を沿いには、啄木が代用教員時代に間借りしていた斎藤家があり、そこにも啄木歌碑があります


@ 大前田の啄木歌碑

この歌碑は、以前この地で「啄木ドライブイン」を経営していた方が、昭和53年4月に建立したものですが、後に現在の場所に移動されました。なお、碑文は啄木自筆からの集字拡大したものです。




神無月
岩手の山の
初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ
   啄木



この歌は、啄木歌ノート(明治41年歌ノート10月23日)、新渡戸仙岳宛の手紙(明治41年10月26日)にあり、岩手日報(明治41年11月3日)、雑誌明星(明治41年11月号)で発表し、一握の砂「秋風のこころよさに」に掲載している。


A 愛宕の森の啄木歌碑

この森の上に、総本社京都の愛宕神社支社として、愛宕神社が祀られている。およそ3百年前に建立された。防火の守護神として村人に信仰され、毎年旧暦の6月と8月の24日に例祭が催される。啄木は、ここを「命の森」と呼び、好んで散策しては詩想を練った。この森の下に、啄木が代用教員として教鞭をとった、渋民尋常小学校があった(案内板)。
この愛宕神社裏に、昭和62年3月に緑地公園をつくり展望台が設置され、その展望台に啄木自筆を集字拡大した歌が刻まれた。


愛宕神社


円形展望台


展望台上の歌

るさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
   啄木


この歌は、明治43年啄木歌ノート(8月28日)にあり、一握の砂「煙二」に掲載された。

この森には平成10年10月に建てられた、次の啄木歌碑もある






新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれどー
   啄木



この歌は、啄木歌ノート「一握の砂以後」(明治43年11月末日より)にある歌で、「悲
しき玩具」に掲載されている。


B 斎藤家前の啄木歌碑

啄木は節子と結婚し、盛岡で暮らしていましたが、経済的に破錠し、明治39年3月、母と妻を伴って故郷渋民村に帰り、翌年の5月4日まで1年2か月を過ごしたのがここ斎藤佐家でした。啄木はここから代用教員として母校の渋民尋常高等小学校に通った。この歌碑は啄木を主題にした映画「雲は天才である」の渋民ロケに際し、斎藤氏の協力に感謝し、昭和29年5月、新東宝の映画監督中川信夫氏が斎藤家の入口にこの歌碑を建てたものです。






かにかくに渋民村は戀しかり
思い出の山
思い出の川
   石川啄木


この歌は、一握の砂「煙二」に刑されている。






斎藤家(現在は啄木記念館の庭に移設されている)


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