(28)好摩の啄木歌碑
平成25年も春の連休に入り盛岡地方裁判所の桜は満開になり、毎日多くの来訪者の撮影会?が行われております。岩手公園、高松の池などの桜は29日現在三分咲きで5月に入って満開を迎えそうです。5月の連休にはぜひ盛岡の桜見物にいらしてください。
石割桜
岩手公園
高松の池
@ 好摩小学校の啄木歌碑
(イ)学校庭園の啄木歌碑
平成2年、創立40周年記念に啄木庭園を造成し、啄木像と歌碑を建立した。
啄木像
啄木歌碑
霧ふかき好摩の原の
停車場の朝の虫こそ
すゞろなりけれ
啄木
A好摩小学校の玄関内の啄木歌碑
小学校の玄関内にも、この歌が木製の板に刻まれている。平成5年の卒業記念です。
玄関の啄木歌
霧ふかき好摩の原の
停車場の朝の虫こそ
すゞろなりけれ
啄木
B 夜更けの森園地の啄木歌碑
東北本線好摩駅は、啄木が旅をするときに利用した。その駅から、歩いて10分ほどのとこに夜更けの森えんちがある。この歌碑は、平成4年に建立されている。
公園の啄木歌碑
公園の木の間に
小鳥あそべるを
ながめてしばし思いけるかな
啄木
雑誌創作(明治43年11月号)および曠野(明治43年11月号)に発表、一握の砂「手套を脱ぐ時」に掲載
C 稲荷山の歌碑
夜更けの森園地のすぐ裏手から稲荷山への坂道があり木の階段になっています。啄木がいた当時の好摩駅周辺は、一面原野だったそうです。この山の頂上には御影石でできた歌碑
があり、石碑の文字は妹美津子の文字で書かれている。
稲荷山の啄木歌碑
霧ふかき好摩の原の
停車場の
朝の虫こそすずろなりけれ
啄木
スバル明治43年11月号、一握の砂煙二に掲載。なお、「霧深き・・・」と深きとして明
治43年歌ノート(8月3日―4日)にあり、東京朝日新聞(明治43年8月11日)に発表
している。
啄木が往来のたびに親しんだ好摩駅を詠んだ歌で、昭和35年6月に地元有志の手によってこの山頂に建てられた。碑文は啄木の妹、三浦光子さんの書を刻んだものです。
当時は澁民駅はなく好摩の荒れ野にポツリと建った好摩駅が交通の関門であり駅に降りたった光景は「好摩の原の停車場」そのものの感であった。この歌は啄木の数多い思郷歌の中でも特に詩情をそそる一首である。(案内板)
(27)好摩駅の啄木歌碑
好摩(こうま)は現在盛岡市玉山区好摩になっておりますが、啄木が生まれた頃は好摩村でした。現在は渋民駅がありますが、啄木の時代には渋民駅が無く、好摩駅まで歩いて行って利用していました。啄木にとって好摩は思い出の場所だったのでしょう。私も盛岡に来てまもなく、数人で好摩駅まで電車で行き姫神山まで歩いて登りました。当日は雨で頂上付近がすべって大変だった思い出があります。
@ 好摩駅舎の啄木歌碑
好摩駅は、現在、IGRいわて銀河鉄道・ 東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅で、両社の共同使用駅で、IGRいわて銀河鉄道の管轄
駅になっております。この歌碑は以前ホームにあったようですが、平成23年5月に駅舎が新しくなった時に、好摩駅の待合室に移したようです。なお、この歌碑は木製の歌碑です。
霧ふかき好摩の原の
停車場の
朝の虫こそ
すゞろなりけれ
この歌は、雑誌スバル(明治43年11月号)に発表一握の砂「煙二」に掲載
A 好摩駅広場の啄木歌碑
改札口を出て右側の線路に沿った広場に、啄木歌碑がある。1989年(平成元年)11月建立。
ふるさとの停車場路の
川ばたの
胡桃の下に小石拾へり
啄木
明治43年啄木歌ノート(8月3日−4日)にあり、東京朝日新聞(明治43年8月11日)に発表、一握の砂「煙二」に掲載
(26)渋民の啄木歌碑
渋民村は明治22年近隣の村5ケ村と合併し新制の渋民村になり、その後、昭和29年に玉山村と合併し玉山村になり、さらに平成18年に盛岡市に編入され、盛岡市玉山区になっている。
渋民は啄木の生まれた所でもあり啄木歌碑がたくさん建立されています。これまで掲載した他、次の歌碑があります。
@ 川崎展望地(新奥の細道展望広場)の啄木歌碑
この歌碑は平成3年に玉山区下田に建立された。この地は小高い丘になっており眼下に流れる松川と姫神山の眺めがとても美しいです。
今日ひょいと山が恋しくて
山に来ぬ。
去年腰掛けし石をさがすかな
啄木
この歌は、啄木歌ノート一握の砂以後(明治43年11月末より)にある歌で、悲しき玩具に掲載されている。
A 長渡にある啄木歌碑
この歌碑は、平成3年に、啄木記念館から歩いて5分ほどの長渡地区に建立された。
閑古鳥
澁民村の山荘をめぐる林の
あかつきなつかし
石川啄木
この歌は、啄木歌ノート一握の砂以後(明治43年11月末より)にあり、悲しき玩具に掲載されている。
B 姫神ホールの啄木歌碑
平成7年玉山文化会館(姫神ホール)が開館された時に、女性像「風」が建てられ、その台座に啄木の「あこがれ」におさめられた詩のうち「杜に立ちて」の一節が刻まれた。
ああ今、来りて抱けよ、恋知る人。
流転の大浪すぎ行く虚の町
そよげる木の葉ぞ幽かに落ちてむせぶ。
驕楽いづこへ吹くきしか。胸燃えたる
束の間、げにこれたふ時愛の栄光
啄木
C 笹平大橋の親柱の啄木歌碑
この橋は、玉山区門前寺笹平にあり盛岡の松園団地から姫神に抜ける旧奥州街道に架かっています。この歌は平成5年に設置された。
a.盛岡側橋柱の歌
ほたる狩
川にゆかむといふ我を
山路にさそふ人にてありき
啄木
この歌は、一握の砂「煙二」に掲載されている。
b.渋民側橋柱の歌
岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる虫を何と聞くらむ
啄木
この歌は、雑誌「春潮」(明治41年10月号)に発表、「一握の砂」に掲載。
D 玉山公民館跡(玉山中学校入口)の啄木歌碑
この歌碑は昭和48年に玉山公民館が庭園を造ったときに記念として建立された。
ふるさとの
山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山は
ありがたきかな
啄木
この歌は、「一握の砂」に掲載されている。
E玉山小学校の啄木歌碑
この歌碑は、啄木生誕118年にあたる平成16年に建立された。
或る時のわれのこころを
焼きたての
パンに似たりと思いけるかな
啄木
この歌は、明治43年啄木歌ノート(10月13日)にあり、一握の砂「我を愛する歌」に掲載されている。
F山口家庭園の啄木歌碑
この歌碑は、平成元年に玉山区玉山の山口さんが自宅の庭に建立した。お宅はだいぶ山深いところありました。
仂けど
仂けど
我が暮し
楽にならざり
じっと手を見る
啄木歌詩より
「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る」(一握の砂)
この歌は、東京朝日新聞(明治43年8月4日)に発表、一握の砂「我を愛する歌」に掲載。